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第2章 「棒手振り」等の行商について
2.1 「棒手振り」とは (1)「棒手振り」とは 日本の食文化とデザインの関連性を研究するにあたり、現在の日本人が失ってきた大切なものを実感できる1つの良き営みとして「棒手振り」等に注目した。 日本は元々、独自の文化形成を持っていたにもかかわらず、これまで作りあげてきた文化の様相を、短期間に喪失してきている。街作り計画は様々に模索されているが、伝統文化の継承も徐々に実際のものが消失し、地域のデザインを考える上でも、その歴史性や土着の地域性が希薄になってきている。 さらに、前章に述べた様々な事件を通して食品に対する信用に大きな問題が発生している。これまで、人と人との情報交換によって補ってきた食の情報を、流通の中で不正に扱う例が後を絶たない。これは私たちの暮らしに直結する問題であり、供給側にも本当の豊かさにつながる倫理観とマーケティングのデザインを模索する必要がある。 このような現代の日本が失ってきた大切なものを思い起こさせてくれる1つの事例として、食と器のデザイン研究でも常滑の「棒手振り」(魚の行商のこと、振り売り、荷ない売りともいわれる)の職について紹介している 。「棒手振り」とは一般的に魚の行商のことを言うが、棒手の呼び方は天秤(てんびん)棒から数本の縄を下げた形からの連想であるといわれている。「棒手振り」等の歴史は古く、江戸時代からこのようなスタイルが成立し、その時代性を反映し様々な形態に変化し発展を遂げてきた。(図1-1,2,3) (2)商いのかたち 行商は現在極めて少なくなってしましたが地域性を見る上で「棒手振り」等の商いの形態は興味深く、スーパーマーケットなどが出現し、大量消費の時代を迎えるまでは食品物流の主役であり、地域の産業、生活スタイル、街の形成に大きく関係したと考えられる。 商いの形が整った江戸時代には多彩な職の行商が存在し、一般的には魚、野菜、薬品、生活用品などが十数年前まではごく普通に見られた風景であった 。固定した道先などで商売をする「辻売り」、様々な場所で売り歩く「棒手振り」(振売り)などが行商のスタイルで、多種多様な売物の数だけスタイルがあると言っても良い。灯籠、薬、桶、野菜、魚など地域の特色、当時のマーケットのあり方や物流により自然発生的に生まれ、時代とともに形を変え発展してきた。過去にさかのぼり行商は地域性や時代に大きく関連し、現在の福井県から京都に鯖を運んだ「鯖街道」や、京都の街に薪を供給した大原女などの行商も地域的特性の一例である。 常滑の「棒手振り」を見ても、5月に行われる祭礼や、その他の年中行事の脇役として、主要な食材を街の人々に供給する点など、この姿に地域の独自性があらわれている。 現在はその行商自体が消滅した例も数多い。愛知県の例を見ると、昔は知多半島の漁港から名古屋市まで「棒手振り」の行商は見られたが現在はすっかり姿を消し、昔ながらの行商が残るのは知多半島の常滑のみである。常滑の場合は、幾つかの条件が揃っていた。「棒手振り」等の行商が存在する条件として、近海物の地魚が入荷する漁協が存在すること。地域の祭りや年中行事に重要な食材を供給していること。地域や漁協の理解、協力があることなどが考えられる。
(1:三谷一馬、『彩色江戸物売図絵』、1996年、中央公論社、93ページ) (2、3:三谷一馬著、『明治物売図聚』、1991年、立風書房95、97ページ) 2.2 現在の「棒手振り」について (1)「棒手振り」現状 本研究の調査において、様々な地域の人々に聞き取り調査を行ったが、昔は棒手振りなどの行商人で賑わったが現在はほとんど見かけなくなったという地域が多かった。また、行商は続けても乳母車やリヤカーなどから軽トラックに変えて営業している例もある。いずれもお年寄りが務めるため近い将来は存続が危ぶまれている。行政や漁協は行商について免許制や登録制をとっている場合もあるが、あまり把握していない場合が多い。近年の街作り計画で、街のコミュニケーションの活性化手段として検討が進められているようであるが、実際は観光資源として積極的に活用している例はあまり見られない。あくまで行商であり、保健所としては食品衛生上の厄介者としている面もあり、食品管理の問題が指摘される場合もある。 現代社会の食の流通は画一化された安全とされる食品を、売り手と買い手の安易な関係にて成立しているが、「棒手振り」の場合、客との関係は絶対的な信用で成り立っている。これらの行商は、その道のプロとして食生活に関するアドバイスも適度に行っている。これは信用販売の象徴であり、良いものしか人に売れない職人気質も引き継いでいる。顔の見える客を相手にしている点、専門業者としてのプロ意識がそこにある。 (2)「棒手振り」の道具 「棒手振り」の使う道具としては、そのシンボルであった天秤桶の棒も、民俗資料として残っているが、現在はすっかり姿を消している。物売りは江戸時代から明治初期にかけては全て肩や頭で売り荷を背負ってきた。明治30年頃からほとんどの行商は車を引くようになり 、それから現在まで乳母車、自転車、リヤカーの改造など、そのスタイルは地域によって区々で、その道具は街の金物屋や、車屋、自転車店などが特注生産を行ってきた(写真5)。現在はなかなか使われない竿はかり(天秤のはかり)や棒手の桶にも地域の個性があり、地の魚をさばくための包丁さばきなどにも熟練の技が見られる。(写真6)
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「棒手振り」などの行商に関する調査と、そのデザイン性についての考察
ー食と器のデザイン研究に関連してー |