第3章 調査の報告

 本論における行商の調査は常滑の「棒手振り」から始まっているが、大衆的な行商であるためか文献や資料が少なく、このような歴史や現在の状況に関する細かな記述はほとんど見あたらなかった。書籍等による一部の記述から地域を特定し、行政機関や観光協会、漁協などに協力を頂き聞き取りを中心に調査を行った。本章では、愛知県から紀伊半島の和歌山田辺、瀬戸内海、宇和海等に面する四国地区と、さらに行商を観光資源としている街として以前から知られる尾道についての調査報告とする。(図2)


3.1愛知県常滑市の「棒手振り」

(1)「棒手振り」とは
 愛知県常滑市の常滑漁港では、現在では全国的に少なくなった「棒手振り」(写真7、魚の行商の職、街ではぼてさんと呼んでいる)等の職業が残っており当地の名産であるメジロ(アナゴ)、エビ、近海物などを各家庭や料理屋に売り歩いている女性達がいる。現在も総勢20人ほどで中には80歳以上になっても現役で働く棒手も8名ほどいる。もともと棒手振りの仕事は漁師が捕った地魚として黒鯛、大海老、かに、イカ、かれいなどの魚介類を問屋に出荷し、その残りを漁師の妻が地元で売りさばく仕事であった。現在は漁協にて自らが競り落としその魚介類を食べられる状態まで下処理し、籐製籠付きの乳母車に載せ街を歩いて商いをする。(写真7、8)それぞれ固定客もあり1日30から40軒もまわり、その行動範囲は広く10kmほども歩くという。「棒手振り」による魚の販売は、スーパーマーケットなど魚の下ごしらえをしてパックで販売するスタイルが街に定着するまではもちろん、近年まで魚介類の販売に関しては主役であった。祭りに使うメジロなど大量にさばき客に配達したり、注文があれば刺身の仕出しまで請け負っていた。

(2)常滑の棒手振りの特徴
 常滑の棒手振りの特徴は籐製の乳母車に氷を詰めた木箱を積み込みその中に自分の買い付けた魚を入れて売り歩く。棒手振りの中でも役割分担があり、メジロの下処理や、買い付けた魚など交換し合いながら品物をそろえていく。84歳の現役の棒手さんに話を聞いたが、現在はスーパーや八百屋でも下処理した魚を売っているので買ってくれる所が少なくなったという。家族は高齢のため辞めたらどうかと勧めるが、いい小遣い稼ぎになることと、お客さんが待っていてくれるから続けているという。

 各家庭には、現在のような発砲系容器が出回るまでは陶器製の皿で魚を配っていた。その皿を探してもらうよう掛け合ったが、知らず知らずのうちに処分してしまい、現在は全く残っていない。祝いの席には、刺身をつくり大皿に盛りつけて配った盛んな時もあったので「棒手振り」の家には仕出し用の見事な大皿があったという。
 昔と比べて、魚の種類は変わらないが漁獲量が激減した。現在中部国際空港の建設が進んでいるが、近年漁場の減少や漁師の出船が少なくなったとも言われ、最近では、祭りに欠かせないメジロが不足している。

図2 調査対象の地域
写真7 常滑市の「棒手振り」
写真8 旬のメジロ(あなご)を下処理する


3.2和歌山県田辺市の「引き売り」

(1)「引き売り」とは
 和歌山県紀州田辺では、市場に上がったばかりの新鮮な魚介類を、特製の手押し車の引き出しに納めて、中心市街地に売り歩く魚行商の女性達のことを「引き売り」と呼んでいる。(写真9、10)
「引き売り」達は朝4時に起床し、一番に市場へ行き、魚や干物、新鮮なネタを仕入れ1日の段取りを行う。近海物の地魚が中心で、その他一般食品、干物等(自家製)を準備する。6時ごろ一度家に帰って魚を塩水で洗い、氷を入れた引き出しにきれいに並べてから朝食をとり、朝9時ごろ行商に出発する。

 昔は50人近くもいたが、急激に減って現在は8人程度で、最高齢の方で82歳である。毎日市場にて魚や様々なものを買い付け、街に出て売り歩く。写真9、11〜13で紹介しているのは「引き売り」の山本様。「引き売り」の中では最も若く、意欲的に取り組んでいる。販売の範囲を広げるために、電動モーター付きの車に改造し、かなり広範囲に渡って元気に歩き回る。売れても売れなくても皆に声をかけ、地域の人と言葉を交わし様々な注文に答えていく。(写真11〜13)

(2)「引き売り」の特徴
 「引き売り」の特徴は独特の手押し車にある。昔は天びん棒に大きなかごを下げて荷ない売る「棒手振り」だった。そこから籐(とう)で編んだ大きな乳母車での引き売りが始まった。これは現在の常滑と似たスタイルである。「引き売り」の使う引き出しのついた特殊な箱は、中に氷を敷き詰め、その中に魚介類などをきれいに並べて売り歩く。箱は街の建具屋が作り、長時間の湿り気と、頻繁な開け閉め、移動に耐えられ、なおかつ道具として使い勝手がよく、長持ちする箱という厳しい条件がある。

 田辺では魚の行商の歴史は長く、現在の中心市街である北新町、栄町通りの一部に限り江戸時代には魚や日用品を座り売る「辻売り」と、場所の制限なく商いを行う「荷ない売り」を田辺藩が許可していたことは記録に残っている。当時から田辺は、商人や近郊からの人々でにぎわい、魚の辻売り等は田辺名物の一つだったという。江戸時代末期から明治にかけ、田辺周辺の風物画を多く描いた学者、湯川退軒(1839−1900年)の絵にも、「棒手振り」姿の男女が魚を運ぶ姿が描かれている 。

写真9 田辺市、「引き売り」
写真10 標準的な「引き売り」のスタイル
写真11 箱車の中身
写真12 注文に応じて刺身を造る
写真13 地域の人と言葉を交わす行商風景



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「棒手振り」などの行商に関する調査と、そのデザイン性についての考察
ー食と器のデザイン研究に関連してー