3.3香川県高松市の「いただきさん」

(1)「いただきさん」とは
 香川県高松市では、昔漁業を営む主人の取ってきた魚を街で売りさばくのが女房の役でありこのような形の行商を「いただきさん」と呼んでいる。(写真14〜16)昭和の時代までは50人ほどいたが現在では20人ほどが行商を行っている。それ以外の人は高齢のため継続が困難とのことである。平成10年頃までは登録制があったが、現在は減少に伴い制度が無くなっている。仕入れは魚市場(香川県魚市場)仲買さんから買い、自転車のサイドカー型の箱に詰め高松市内数カ所で商いを行う。一カ所2〜3時間で場所を移動しながら毎日売り歩き、街では重宝な魚屋さんとして人々に支持された存在である。

 「いただきさん」は高松の街では、単に行商の魚屋としてのみならず、気軽に街の人やお年寄りに声をかけ、良き話し相手となっている。今晩の献立の話や、最近の健康状態、なにげない日常的な話など、街の主婦やお年寄り達の相談役や話し相手となり人々もこの行商が来るのを楽しみしている。歴史もあり街の風情を物語る「いただきさん」に、近年この地域の行政も観光資源として注目し始めている。

(2)「いただきさん」の特徴
 「いただきさん」の言葉の由来はその行商スタイルある。かつて頭上運搬による行商の魚を入れる桶を『魚ハンポ』といい、平たい浅底でその桶の蓋は竹網作りで二重になっている。このハンポという桶を頭に載せて行商する際、頭上には直径12センチぐらいの藁の輪に布を巻いたものを載せてハンポの台にした。これをこの地方ではイタダキと呼ぶ。愛媛県松前町のオタタさんなど、頭上運搬は第2次世界大戦前後まで続いた 。その後、頭上運搬から、手押し箱車、さらに自転車の横に箱車を付けて行商を行うスタイルに変わっている。これは昭和30年頃、街の自転車店がサイドカー式を考案したもので、乳母車型に代わり愛用され現在もこのスタイルが続いている。

 また「いただきさん」の歴史的由来は、高松に伝わる「糸より姫」という伝説があり、平安時代に平家から流れ着いた貴人が生活の糧を得るためにこの糸より浜で水揚げされる魚を平桶に入れ売り歩いたのが起源と言われている 。呼び声は昔のままの「おさかなご用」と、得意先の家角に立ち「おさかなイランノナ・・・」と声をかける。
 高松の漁港も近海物の魚が多く水揚げされ知多半島と同様地魚が多い。女房の勤めであった「いただきさん」も全般的に高齢化しているが、漁師人口も若い人が減り、全体比率で0.5%ほどしかおらず漁業全体が高齢化していることが現在問題になっている。

写真14 「いただきさん」の風景
写真15 お客の注文に応じて刺身をつくる
写真16 自転車をサイドカー型に改造


3.4愛媛県今治市の行商

(1)今治市の行商の特徴
 今治の魚市場は自由市場の形式をとり、随分朝早くから市場は人々で活気づいている。これまで調査した地域の中でも行商や物売りの活発な街であり、全体数は把握できていないがリヤカーを改造した屋台風の車で売り歩く。ここの魚市場は、登録や競りを管理して行わない自由市場であり、行商や魚屋、あるいは一般の人々が自由に買い付けに来る。

 漁師の妻が捕れた魚を市場に持ち込み、早朝から多くの水揚げがあり市場は活気づく。物売りの行商達も家族や仲間が捕った魚や市場で仕入れた魚を下処理の上パック詰めにし、綺麗にリヤカー風の車に並べて準備を行う。7時過ぎには市場は終わり、行商達はそこから屋台風の車で街に売り歩いている。(写真17〜19)

 今治の行商は特に決まった呼び名が無く、皆がおばちゃんとか魚屋さんと呼んでいる。朝の市場周辺から今治の商店街にかけて、少なくとも10人以上の行商が出動した。取材では以前不快なことがあったようで、声をかけてもあまり話を聞くことはできなかった。テレビ局等の取材で以前迷惑だったこともあるらしい。
写真17 今治市の行商
写真18 街を歩き、店を出し商売をしている
写真19 今治市の行商の箱車


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「棒手振り」などの行商に関する調査と、そのデザイン性についての考察
ー食と器のデザイン研究に関連してー